Blog Back Number 【2019.11】 ブログ バックナンバー

President's Diary 社長日記

No.389 秋からそろそろ冬へ。

 

ここ数日の朝夕の天気は、体感温度での感じではポカポカ陽気の紅葉の季節から一転そろそろ本格的な冬支度をするような陽気です。

 

 

 

先日久しぶりに日光へ紅葉を見に行ってきましたが、今年の紅葉は台風の影響か紅葉が今一つです。

 

中禅寺湖周辺はそれでも混雑していたので、今回は霧降高原周辺の「霧降ノ滝」や「日光山輪王寺の並び地蔵」周辺に紅葉を期待しましたが、それでもいつもの日光の紅葉らしさは感じませんでした。

 

ただ霧降高原にある「山のレストラン」はオープンと同時に入れたので、窓際の席を確保でき滝を横目にしながら美味しい洋食を頂けて若干期待外れの紅葉を食でカバーした一日でした。

 

 

 

今月は時代こそ異なりますが、私が好きな二人の展示会に駆けつけることが出来ました。

 

二人とは、インテリアデザイナーの「倉俣史朗」ともう一人は、美人画の大家「鏑木清方」です。

 

倉俣史朗さんは、空間デザイン、家具デザインの分野で60年代初めから90年代にかけて世界的に傑出した仕事をしたデザイナーです。

 

日本固有の文化や美意識を感じる独自のデザインによってフランスを始め国際的にも高い評価を受け、そのあまりの独創性ゆえに「クラマタ・ショック」という言葉まで生まれました。特にエキスパンド・メタルで構成された家具は有名です。

 

残念ながら56歳という若さで91年に亡くなりましたが、その数年前に直接お会いして短時間でしたが二人きりでお話を伺うことが出来たのが良い想い出です。

 

 

 

もうひと方は日本画特に美人画の巨匠、の鏑木清方です。

 

鎌倉にある「鏑木清方記念美術館」には何度か足を運んでおりますが、現在竹橋の「東京国立近代美術館」で開催されている鏑木清方展では、1927年作の幻の「築地明石町」が特別公開されております。

 

特に長らく所在不明の為展示されていなかった、「浜町河岸」「築地明石町」「新富町」の三部作は、若い娘・夫人・年かさの女性との女三態とも言うべき構想が隠れていると言われています。

 

特に「築地明石町」に描かれている夫人は何か謎めいており、当時明石町は上流の夫人の散歩コースでその様子を描いた絵と本人は記述しているようですが本作を実際に拝見するともう少し意味深な物語も隠れているようで興味が尽きませんでした。

 

西の「上村松園」、東の「鏑木清方」と言われている東西の美人画の巨匠二人、昨年修復後鑑賞した松園の「序の舞」とこの「築地明石町」は、当然ながら甲乙つけられませんが、この「築地明石町」の夫人の着物と立ち姿、大変に魅力を感じた一作でした!

 

 

 

 

No.388 即位祭典で考えたこと。

 

秋も深まりつつあり、朝晩のお散歩通勤での「浅草寺境内」は紅葉も終わり早朝からの掃除も大変な様子です。

 

都の発表によりますと18年度の海外からの旅行者は、約1424万人でそのうち約45%の旅行者が「浅草」に来ているそうです。

 

それでも連日早朝からの境内掃除の方々のおかげで境内はいつも清々しく気持ちよく過ごせています。感謝!

 

 

 

先日からTVなどで賑やかに報道されている、新天皇の即位を祝う「国民祭典」の行事が連日行われています。

 

新天皇皇后様のお披露目での御手振りでは、皇居前広場に3万人の国民がお祝いいたしました。

 

また天皇の即位に関する「即位の礼」での世界各国からお招きした超VIP達の方々の皇居内の動きなどTV報道が連日放送され巷での話題となりました。

 

台風被害などから延期された「祝賀御列の儀」での即位祝賀パレードでは、沿道に約12万人が早朝から列をなして祝福いたしました。

 

これらの「即位祭典」も「大嘗祭」を最後に終焉する事のようです。

 

 

 

この「大嘗祭」とは、天皇が一世一代限り行う天皇の皇位継承に際しての皇室伝統の大がかりな神事だそうです。

 

日本は世界でも類を見ない天皇を冠する伝統の国であり、国民も一致団結して多くの自然災害を乗り越え大多数の国民は、平和な暮らしを謳歌しているように一見見えますが、多くの国民の政治不信が根っこにあり少子高齢化の波を今後どのようにして政治家に託して行けるかは大変な不安材料となっています。

 

 

最近の印象では大人達が自分が存命中の生活さえよければ後は後世の世代が考えるだろうとの感じを持たざろう得ません、これでは子供達の時代に対してあまりにも無責任ではないかとふと思います。

 

数々行われているこの皇室の行事も伝統の一環で大切なことは一国民として理解で来ますが、この行事に費やされている国民の血税からの予算の一部でももっと国民の為になる有効なことに費やせないかふと考えさせられる「国民祭典」でした。