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President's Diary 社長日記
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8月、台風10号の影響で各地で豪雨被害が広がっており、地元浅草でも海外からの観光客を含め急な雷雨で戸惑う旅行者が右往左往する姿が多く見受けられました。
以前からの旅行計画も変更を余儀なくされるかと思いましたが、何とか中止することも無く実行出来ました。
一度は行きたいと思っていた、毎年9月の1~3日に開催される越中八尾の「おわら風の盆」と「黒部ダム」に念願かなってようやく行くことが出来ました。
「おわら風の盆」は、豊作を願い八尾の町11各町会で歌・三味線・胡弓・太鼓の音色をバックに町流しや輪踊りしながら町内を巡る伝統芸能です。
各町会では、それぞれの浴衣で男踊り女踊りに嗜好をこらして町内の道沿いにいる観光客を楽しませます。
特にNHKで放送された「鏡町」の男女混合踊りには観光客が公演前から並びましたが何とか鑑賞出来ました。
期待通りに男踊りと女踊りのきめポーズでは、観客から拍手が起こりました。とてもかっこよかったです。
翌日立山黒部アルペンルートを通って黒部ダムまでなんと6つの乗り物を乗り継ぎ直線距離約25キロ最高標高1975mを楽しんで来ました。
途中「称名滝」にも寄ってきました。
称名滝は、立山連峰を源流とする落差日本一の大瀑布(350m)で4段に折れながら流れ落ちる迫力満点の滝でした。
丁度雪解け水が多く流れ込む時期でしたので、隣に「ハンノキ滝」落差(500m)も同時に見ることが出来ラッキーでした。
6つの乗り物は、立山駅から美女平まで①ケーブルカー、室堂駅から②立山高原バス、大観峰駅まで立山トンネルを今年最後になる③トロリーバス、黒部平駅まで日本随一1702mの支柱の無い④ロープウエイ立山、黒部湖駅まで⑤ケーブルカー黒部、徒歩にて黒四ダムを渡り最後の黒部ダム駅から関西電力の⑥電気バスにて扇沢駅まで北アルプスの山岳地帯を縦貫します。
途中冬場高さ20mにも迫る雪の壁「雪の大谷」で有名な「室堂」では、「みくりが池」をぐるりと回る周回コースで立山連峰を堪能いたしました。
念願の「黒部ダム」は、何度もTV等で紹介されて詳細は知っておりましたが、やはり実物は大迫力で丁度観光放水も行われており絶景ポイントが数カ所ありましたがどのポイントまでも、階段続きで大変疲れました。
ダム完成まで7年の歳月と171名の工事関係者がお亡くなりになる大工事で、その記録フイルムも鑑賞でき多くの工事関係者の方々の大変な苦労がしのばれ、最後に「慰霊碑」に手を合わせてきました。
この時期念願の「おわら風の盆」と「黒部ダム」と「室堂」のみくりが池からの立山連峰の展望が叶い、とても充実の日々を味わいさせてもらうと同時に健康の大切さを改めて感じた日々でした。感謝!
猛暑日が続いておりますが皆様は、いかにお過ごしですか?
地元浅草も連日の暑さにも関わらず国内外の観光客で相変わらず賑わいを見せております。
27日には、「第47回隅田川花火大会」が開催され約2万発の花火が90分にわたり打ち上げられました。
例年浅草駅などの最寄り駅では、大変な混雑が報告されており今年も91万人の人出でごった返したようですが、小雨はありましたが無事に今年の隅田川花火大会も終了いたしました。
今月は、公私ともに長年にわたり大変お世話になった中高の恩師が86歳でお亡くなりになりました。
数度の病気にも関わらず不死鳥のようにその都度再起されお元気になられたのですが、今月静かに天に召されました。
先生は、中高で私が御属していたバレーボール部の監督をされていたご縁で公私にわたり青春時の悩みを随分聞いていただき、その後の人生の支えとなる言葉を沢山頂きました。
結婚時には、お仲人もして頂きお元気な頃は、浅草の我が家にも何度も来られ、酔いが回るとそのたびに先生お好きな「マイ・フーリッシュ・ハート」の唄を口ずさんでおられました。
下町育ちの母とも気が合っていたようで来られた時には、雑談で大いに盛り上がっていたのが忘れられません。
本当にお世話になり今はとても寂しい気持ちでいっぱいです。
葬儀には、多くの方々が来られ先生の生前の人望がしのばれました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。お疲れさまでした。
猛暑続きのさなか突然寝室のエアコンがダウンしてしまいました。
今月に入ってほとんど一日中つけっぱなしにしていたせいも有るのかもしれませんが、連日の寝苦しい夜には扇風機だけでは到底熟睡出来ません。
早速修理依頼したところ、部品交換ではダメそうなので仕方なく新規に購入することにしたのですが、猛暑の為か取付工事が混雑状態なので設置日は、10日後になりそうです。
その間別の部屋で寝る事にしたのですが、どうも寝付けません。
部屋が変わっても旅行中は、特段そのような事はあまり記憶がないのですが・・・
日々の日常であたり前に過ごしている事でも、もしそれが当たり前でなくなる事になるとこんなにも不便を感じるものかとあらためて気が付いた次第です。
災害に遭い家を失ったりして日常生活に大きな支障をきたしたりした方々をTVなどで拝見した際に感じた事が、いざ自分に起こった際には果たして自分はどう対処するだろうかと、恥ずかしながらたったエアコンの故障一つで日々のリズムが狂って参った自分をこの年になり改めて見つめなおす事となりました。
まだまだ修行が足りないな~と期せずして亡き先生に天国から叱咤されているようです。
人生いくつになっても精神の修行は続くものなのですね。
梅雨が始まったのか終了したのか定かでない日々が続いています。
地元浅草も相変わらず国内外の観光客で大変賑わっております。
そんな混雑を避けて、初めて「白川郷・飛騨高山」に行って来ました。
勿論いつも通りの妻との二人旅です。
妻は過去二度白川郷・飛騨高山に行っていますが私は初めての訪問です。
今回は初めて「大人の休日俱楽部パス」利用の旅を経験いたしました。
添乗員さんが同行する旅は、本当に久しぶりです。
今まで地元浅草で海外の観光客の御一行様を旗を掲げて先導する添乗員の姿を「なんだ~団体旅行」かと思っていたので、自分が御一行様の一員となると何か恥ずかしさも多少ありました。
上野駅で待ち合わせして新幹線で一路「上越妙高駅」へ、生憎の小雨模様でしたが、駅からバスに乗り換え「ますのすしミュージアム」で富山名物ますのすしを食べ昼食を済ませました。
昼食後は、「井波別院の瑞泉寺」へ。
小雨降る中、日本遺産・木彫り彫刻の町「井波」を彫刻士のガイドさん付きで寺院内を散策。
瑞峰寺の欄間や獅子頭の木彫り彫刻は、「素晴らしい」の一言でした。
その後は、指定旅館にて夕食を済ませのんびり時間を過ごしました。
翌日は、天気も晴れて絶好の観光日和、まずはバスにて「五箇山 菅沼合掌造り集落へ」私が以前から思い描いていたイメージ通りの合掌造りの家々をボランティアのガイドさんの説明で集落内を散策。
合掌造りの成り立ちと世界文化遺産指定までの経過とその裏話等を楽しい解説で受け大変参考になりました。
「五箇山」は、観光客も少なくとてもコンパクトな合掌造りの集落でその原風景を楽しめましたので、次回はプライベートでもっとゆっくりお茶でも飲みながら時間を過ごしたいと思いました。
「五箇山」から再びバスにてお目当ての「白川郷」へ。
こちらは、大変国内外の観光客も多くまさに「世界文化遺産白川郷」でした。
自由散策と自由昼食でしたので「飛騨牛入りの肉そば」を頂きました。
集落を一望できる展望台が集落の中ほどから440mほど登り坂の先に在り、折角なので行くことにしましたが、久しぶりの登り坂は意外ときつかったです。
しかし展望台では、眼下に「白川郷合掌造り集落」が一望でき、まるで絵葉書を見るようでした。
気温が高く汗をかいたので展望台の売店でアイスクリームを頬張り一服いたしました。
集落の中程に在る国指定重要文化財合掌造りの「和田家」では、合掌造りの内部を見学出来て大変参考になりました。
この日は、天下の三大泉の「下呂温泉」の宿に宿泊いたしました。
こちらで初めて「有馬・草津・下呂」の温泉が日本三大泉と言うことを知りお勉強になりました。
下呂温泉は、流石に「いい湯だなあ~」でした。
最終日は、「飛騨高山」です。
朝食後の散策では、「飛騨高山の朝市」に間に合いましたが外国からの観光客でかなり混雑していました。
朝市散策後は、国司跡の「高山陣屋」にも寄ってみました。
こちらは、江戸時代の御役所で300年の時を超えて飛騨の歴史を物語っており、かなり広い敷地のお役所でした。
歴史案内によると江戸幕府は、当時飛騨を幕府直轄地とし、それ以来明治維新に至るまでの176年間に25代の代官や郡代が江戸から派遣され幕府の行政・裁判・警察の政務を行ったのが「高山陣屋」だそうです。
昼食は、折角飛騨に来たので「飛騨牛の焼肉丼」を堪能いたしました。
二泊三日の初めて参加の「大人の休日倶楽部」のプチツアーでしたが改めて添乗員さんのお仕事の大変さを痛感した次第です。
バスに乗ることが多く「お疲れ様~」でした。
五月は、浅草最大の催しである「三社祭」の月です。
地元浅草の「浅草神社例大祭」である通称「三社祭」は、コロナ禍の三年間を過ぎてようやく本来の祭の姿が復活いたしました。
我が家でもコロナ禍以前は、多くの来客達で大賑わいで祭りの数日前から料理の食材や飲料・氷の買い出しで女性陣はてんてこ舞いでしたが、今年は家族各自の都合でお祭り娘一人だけが神輿を担ぎました。
我が家のある浅草三丁目東町会の宮神輿は「二之宮」でした。
今年の「三社祭」は、国内外の観光客に多くの担ぎ手が加わり浅草周辺は一日中大混雑の大賑わいのうちに無事終了となりました。
翌日の通勤散歩での観音様境内は、掃除で大変だと思いましたが、毎朝の掃除をする方々のおかげで大変奇麗になっており感謝感動です。
浅草の裏手にある旧吉原を知る「大吉原展」が、上野の東京藝術大学大学美術館で開催され、評判通リ連日大盛況で入場するのに長蛇の列をなしていましたが、何とか会期に間に合って拝見してきました。
吉原の遊郭文化、しきたり、生活などを浮世絵作品と映像を交えてわかりやすく解説されまた風俗画や美人画を中心に、吉原約250年の歴史が紐解かれておりました。
圧巻の展示は、展示室全体で吉原五丁町の遊廓を「辻村寿三郎」の人形が並ぶ大掛かりな立体模型で遊女の生活が紹介されていました。
私の会期終盤はいつも混むと分かっていても終盤近くになると慌てて駆けつける性格なのは困ったものですね、気を付けねば。
一方7月7日まで開催されている展覧会には早々と行ってきました。
私の学生時代からの友人のお嬢さんの津田道子さんが「東京都現代美術館」の企画展示室でTCAA・の2022―2024受賞記念展として作品が展示されています。
私は、現代アートは個人の感性で感じるものと考えているので作品の良し悪しは正直分かりませんが、専門家の方からの評価では彼女の作品は、映像メディアの特性にもとづき、インスタレーションやパフォーマンスなど多様な形態で制作を行っており映像装置とシンプルな構造物を配置し、虚実入り混じる作品空間が、鑑賞者の視線や動作を操作し、知覚や身体感覚についての考察へと導いているそうです。
難しく考えなくても感じたままで・・・
今回の彼女の作品テーマは、「人生はちょっと遅れてくる」で驚いたことにどこで知ったのか来場者の約8割が海外からの方たちでした。
やはり現代アートは、海外の方たちのほうが理屈でなく楽しめる作品により興味があるのでしょうかね。でもとても楽しかったです!
四月も後半だというのに肌寒い日が続いています。
地元浅草は、相変わらず海外からの観光客で大賑わいの日々です。
浅草駅からの帰宅では仲見世通りなどは、まともに自分のペースでは歩けずストレスがたまるので裏道を速足で家まで帰る始末です。
最近時間にもよりますが、帰宅時間帯に都バスが込み合うのは高齢者が増えたことも有りますが、海外からの旅行ケースを持った観光客の乗車にもあると思われます。
お互いさまではありますが。
行きつけの食事処も最近では、中々予約が取れずにいますが、地元住民が知らない内にオープンした新規の店も多くなっているようです。
コロナ禍の頃の閑散とした浅草も今となっては懐かしい想いがし、コロナ禍が遠のき浅草にも新しい時代が始まった感がいたします
十数年前にニュージーランドの世界遺産のミルフォードでのトレッキングで知り合った友人が、都内から小田原に移り住み高台に新居を構えたので、お祝いを兼ねてプチ旅行に行って来ました。
東京から小田原まで新幹線でおよそ30分、小田原は遠いと思ったのですが、浅草の自宅からは徒歩を含めても一時間余り着く距離です。
彼の家のまるで裏庭?のような整備された市営の公園は、天気も良く人も少なくて駅前の商店街で購入した地元産の食材を使ったお弁当とワインやビールでのランチには最適な場所でした。
高台の公園は、小田原市内も一望でき海のキラキラも奇麗でした。
お酒も入りほろ酔い気分での雑談で気分転換も出来て最高の一日を過ごさせてもらいました。
仕事も年齢も関係ない友人達との時間は、本当にプライスレスです。
又友人に、六本木にある会員制で完全予約制の高級焼肉屋さんにも連れて行ってもらいました。
厳選された牛肉の各部位を厳選された塩・醤油・ワサビなどを付け、ワインや日本酒でのペアリングで食べる焼肉は、「ほっぺが落ちる」最高の美味しさでした!
私にはたまのプチ贅沢でしたが、おそらく海外からの観光客には円安もありきっと「コスパ最高」であるでしょうから、あまり知られてほしくないなと思いました。
根性悪いですかね。
四月も「感謝の一言」で日々過ごさせてもらい、家族全員の健康での幸せを心から感じる一ヶ月でした。