BLOG BACK NUMBER 2016.07


PRESIDENT's DIARY -社長日記

No.315 梅雨明けは、すぐそこまで来ています。

ギラギラの夏の日差しが、おつむに降り注ぐ今日この頃です。
先日床屋さんで、おつむのてっぺんが日焼けしていると言われ少しショックを受けた私です。

 

下町に夏の訪れを告げる、「入谷鬼子母神の朝顔市」や観音様の境内で催された、「ほうずき市」も終わりいよいよ夏本番の季節になりました。

 

先日、以前から行きたかったのですが希望する宿が取れずにのびのびになっていた場所に、やっと行くことができました。

「上高地」です。

 

私の上高地のイメージは、ウォ―キングと上高地帝国ホテルです。

 

何とかホテルが希望日に取れたので、これも初体験の深夜バスにての上高地入りです。
東京駅のバスターミナルからリムジンバスでPM10時半の出発でした。
三列シートのバスは、リクライニングもしてまあまあ快適でした。

 

ホテル前の停留所にAM5時15分に着いたのですが、あいにくの雨模様。
それでも停留所には傘をさしたフロント係の方がお出迎えしてくれました。
さすが帝国ホテル・・・

 

トレッキングの支度をしてAM6時前に出発です。

 

初上高地ですがおおよそのコースは、インプット済みの相棒に任せてひたすら雨の散策路を進みます。

 

河童橋~明神橋~徳澤ロッジ~新村橋までの往復で初日は約27キロを走破しました。

 

休み休みで途中の道すがら明神池でのんびりお茶をしたりしてランチ終了ぎりぎりにホテルに戻りました。

 

上高地帝国ホテルは、4月から11月までの期間限定の営業です。

 

東京と大阪から従業員はこの季節に上高地に来ているそうです。

 

私は、歴史あるクラッシツクホテルが特に好きです。

 

「上高地帝国ホテル」は、ここ上高地に1933年開業の日本初の山岳リゾートホテルだそうです。

 

上高地の景観が初めてにしては凄くなじんでいると思っていたのですが、昨年トレッキングしたスイスの“グリンデルワルト市”と姉妹都市と聞いて納得しました。

景観や雰囲気がとても似ていました。

 

サービスも食事も帝国ホテルならでのあたたかいおもてなしと細やかな心配りにあふれていました。

 

マントルピースの炎と木の香りもウッディな空間にぴったりです。

 

美味しい夕食の後、バーでのカクテルもグーでした。

 

翌日は、大正池近辺を散策したり前日のお気に入りの場所でポーとしたりで、およそ17キロのウォーキングでした。

 

上高地の様子が分かってきたので、次回11月の再訪時は、頑張って涸沢・穂高岳へのトレッキングを目指そうと計画しています。

 

それにしても「上高地」、またお気に入りの場所を見つけてしまいました。
上高地の11月は、きっと寒いのでしょうが、今からそれも楽しみです。
体調を整えて臨みます。

No.314 暑い日々が続きますが・・・。

ここ数日日中は、夏日が続き夜間は、熱帯夜で寝不足気味です。

 

先週“ビートルズ来日50周年”を新聞記事等で気が付きました。

 

早いもので、あれから50年経ったのですね。

 

九段にある「日本武道館」で確か5公演行われました。

 

ビートルズマニアの私は、残念ながら抽選には外れたのですが、当時規律がうるさかった学校からの通達で“行ったら補導する”との脅かしにビビった旧友のS君が、どおせならマニアの私にとせっかく手に入れた“プラチナチケット”をゆずつてくれました。

 

当時の私はLPレコードで全曲頭の中にどの曲も叩き込まれていたので、どの曲を聞かせてくれるのかと補導も恐れず、ワクワクして会場に行きました。

 

広い武道館では、長い前座演奏のあとに遠くにまさにビートルズの4人が演奏をしている姿は見えたのですが、周囲の観衆はなぜか女子ばかりでその奇声でまったく演奏は聞き取れませんでした。

 

聞こえないと男子共は、わめくのですが全くお構いなしで騒ぎ立てておりました。
曲を聞きたければ、レコードで、姿を観たければ会場でと当時のジョン・レノンが言ったとか・・・。

 

50年前の記憶がよみがえりました。

 

当時15歳の私も気が付けば65歳になっております。

 

総務省によると、65歳以上が総人口の4分の一を超え26.7%の3342万人だとか、これは世界最高水準であり一方15歳未満の人口は、12.7%の1586万人でこちらは、世界で最も低い水準のようです。

 

少子高齢化が社会問題になって随分と経ちます。

 

政治家先生!何とかしないと日本の行く末大変なことになりますよ、選挙も近いので国民の一員としてこれらをしっかり考えている政党・政治家に一票を入れたいと思います。

 

50年か・・・色々あった50年でした。

 

これから先、自分で納得できる人生にしたいものです。