BLOG BACK NUMBER 2012.12


PRESIDENT's DIARY -社長日記

NO.227 2012年を振り返って。

毎日寒い日が続きますが、風邪などひかぬ様に日々お過ごし下さい。
早いもので一年があっという間に過ぎ去りました。
一日一週間一ヶ月がなんと速く過ぎてゆくことでしょう。
今年も色んな事が有りました、楽しい事、悲しい事、色々でした。
それでも、よ~く考えてみると私個人的には、なかなか充実した年だったと思います。
プライベートも仕事も振り返って見ると昨年より実りある年でした。
いろいろな物も見たし、色々な所にも行けたし、美味しい物もたくさん食べたし、それに何より健康でいられたし、満足できた年でした。
仕事での出会いも多くあったし、いろんな人と話も出来たし、モノ作りの楽しさも味わえたし、何よりも人の役に立っているとの実感も感じられたし、新聞にも取り上げて頂いたし、緑化の実積も少しづつ積み上がってきたしの一年でした。
抱負を持って年を越せる幸せを感じつつ、皆様一年間有難うございました。感謝申し上げます。
来年も皆様にとって実りある年に成りますように、また一年間健康で充実した仕事が出来ますように、お祈り申し上げます。
来年のアルティマに少しご期待下さい。
胸を張って楽しい報告が出来るように、アルティマらしく、しっかりモノ作りに専念いたします。
来年も宜しくお願いいたします。

NO.226 元気の源は、BNとEXILE?

今年も年が押し迫ってきました。皆様はいかがお過ごしですか。
最近週末にお出かけが増え、ゆっくり家で過ごす時間があまりなく私の大好きな時間(JAZZのレコードをモルトウイスキー片手に聴く時間)もとんとご無沙汰です。
それでもウイークデイには、丸の内にあるライブハウス「COTTON CLUB」に、お気に入りのジャズ・ベーシスト~ヴォーカリストのニッキ・パロットが来日した際には、2ステージも聴きに行ったり、事務所の近くに出来た「スカイツリータウン・ソラマチ」内にある“すみだ水族館”で夜間に癒しの時間に慕ったりしています。
週末には、正月の高校サッカー東京代表をかけた決勝戦を雨天の中我が母校の応援に行ったり(惜しくも負けて代表を逃しました。)
笠間の日動美術館で目の保養をしたり、9月にマドリードで行われ
「Solar Decathlon Europe 2012」に日本の大学で始めて参加した千葉大学の報告会に参加したりしています。(残念ながら入賞は逃しましたが、弊社は壁面緑化で少しお手伝いをしました。)
世の中あまり景気が芳しくなく元気がないのですが、こんな時ほど明るく元気に運気を呼び込まなければなりません。
私の場合は、まず好きなJAZZの“BN(ブルーノートジャズ)”のレコードを大音量で聴く(BNの音作りはなぜか明るくて元気になる音なのです。)
最近はコレに“EXILE”が加わりました。ビートルズとジェーム・ボンドは、以前からマイ・アイドルなのですが、EXILEはあのノリがいいですね~。ボーカルとダンスがタマリマセンネ。
良くあそこまで体を動かせるものだと感心しまくりで画像から目が離せません。
ジムに通う身としては、あそこまではとても無理ですが、トレーニング中イメージは正にEXILEです。
そんなわけで、私の最近の元気の源は、BNとEXILEです。

NO.225 花のある役者に想う事。

ここ数日の寒さは、”今頃御山は雪だろう”の季節の到来を感じます。
暑さ寒さに弱い私は、朝晩コートにマフラーは必需品です。
毎朝観音様をお参りする私ですが、昨日は特段の想いでした。
57歳の若さで亡くなった中村勘三郎さんは、浅草には所縁のある方でした。観音様の境内に「平成中村座」の箱を建て公演したのは記憶に新しいものが有ります。襲名披露では、仲見世でお練りを致しました。正月の新春歌舞伎は、中村屋が常連です。
勘三郎さんが歌舞伎界に新風を吹き込み、若者にカブキをより身近にした功績は大変に大きな物があります。
私には、何か新しい市場を開拓し困難を乗り越える為に、オリジナルにこだわりモノ作り続ける事に通じる様な気がします。
彼は一芸に秀でた歌舞伎大好き人間で努力家だったと思います。
華やかさの裏ではひたすら歌舞伎に打ち込む厳しい顔があり、まさに「栄光の陰に努力あり」の方だったと思います。
たまたま私と中高が同窓で、次男の七之助さんと私の長男が小学校で同じクラスで仲良くさせて頂いたご縁もあり、いつも活躍には注目しておりました。
周りからは伺い知れない「梨園」ですが、公私共に注目される立場でありストレスもきっと相当溜まっていた事でしょう。
芸の積み重ねに近道はなく、天性の才能に加え周囲を明るくするなど人柄も良い“花のある役者”が早々と天に召されたのは、返す返すも残念です。
私も立場は違え、少しでも“人の役に立つモノ作り”をこれからも進めて行きたいと思った次第です。
中村勘三郎さんのご冥福を心からお祈りいたします。