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Chairman's Diary 会長日記
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9月末になってようやく少しずつ秋っぽくなってきました。
毎日の会社までの通勤散歩も空気が澄んでいてお日様の陽ざしが気持ちよく顔を照らします。
今月、初孫も満一歳になり伝い歩きや意味不明の言葉も話すようになってきたので、家族全員で那須のウエルカムベビーの宿「ホテル・エピナール那須」に行って来ました。
家族全員で旅に行くのは「小田原ヒルトンホテル」に次いで2度目ですが、今回は孫のプール初挑戦が目的の家族旅行です。
結果は、全く水を怖がらなく両腕に浮き輪を付けて親が支えながらプールをゆるりと進めました。
周囲のお客さんも驚いた様子でした。
食事もおとなしく水筒を両手で支えてごくごく飲み、スプーンで掬って食べ物も食べるようにもなりました。
初孫の成長がこれからも楽しみです。親ばかでなく孫馬鹿でご勘弁。
今月、とうとうこの時がやってきました。
15年間家族の一員でいた愛車の「ミニクーパーコンバーチブル」とお別れをいたしました。
青森・奥入瀬・八ヶ岳・上高地・十日町・日光・那須など主に我が家から比較的行きやすい北方中心に随分一緒に旅をしました。
冬場のXCスキーには、冬用タイヤを履き何度も一緒に行きました。
特に秋や冬場は、オープンにしてウインドリフレクターを取り付けヒートシーターもオンにして露天風呂気分を随分味わいました。
ハイライトは、やはり北海道ですかね。
結婚時に、いつか妻と「二人でオープンの車で北海道に行こうね」を合言葉に青春を過ごしましたが、やっと6年ほど前に実現しました。
近頃は、妻から高齢者の事故が増えているので車の運転を十分注意してほしいと言われ続けており、又車自体を乗る機会も減り最近の旅は、新幹線など電車を利用することが多くなっております。
以前からミニコンが欲しいと知り合いの若者からのリクエストもあり大きな事故も無いうちに(駐車時に幌をいたずらされ修理費を200万費やしましたが何とか保険で補えました。)
今月無事に引き渡すことが出来ました。
若い時から「ミニミニ大作戦」の映画やモンテカルロラリーで活躍のミニクーパーに憧れ60歳の時に念願の「ミニクーパーコンバーチブル」をフルオプション付きで購入し、15年でトータル約44400キロを一緒に過ごしました。
本当にご苦労さんでした。
オーナーが変わっても可愛がってもらえそうです。
ここ数年の八月は、猛暑が続いておりますが、今年の夏は例年よりもこの猛暑の日々が身体に応えます。
日々の水分補強は、欠かせません。
例年この時期は夫婦で東京を離れて旅行に行くことが多いのですが、昨年より妻がより登山に目覚め単独で旅行に行くことが増えてきました。
今年は、4泊5日で松本経由・上高地から蝶が岳・常念岳を経て燕岳まで縦走するガイド付きの少人数のツアーに参加です。
一昨年までは、夫婦で登山をしたりしておりましたが、予防医学の先生から私が幼少期に小児喘息をしたことなどから高所の登山などの旅行は、あまり勧められませんとのアドバイスがあり、現在は登山が目的の旅行は妻が単独で行くことになりました。
上記のような北アルプスの2800m級の登山は妻が計画し実行しています。
仕事のストレス発散も兼ねてのアウトドアの一環です。
今年の夏季休暇は、9日ありましたが妻が不在の為、映画を観たり美術館でのんびりしたり、日頃できない好きなJAZZのレコードを聴いて楽しんでおりました。
特に24日まで「東京都庭園美術館」で開催されていた「時を紡ぐ館」展には私としては珍しく二度足を運びました。
今展では、本館(旧朝香宮邸)内の普段未公開のウインターガーデンも見学ができました。
今回は全ての部屋の写真撮影がOKでしたので色々な角度から写真を沢山撮ってきました。
特に各部屋の異なった照明器具のデザインの素晴らしさに感動いたしました。
今回の催しは建物の歴史を知る良い機会になりました。
本館は、1933年に朝香宮邸として竣工し1947年まで使用され1954年までは吉田茂が外相・首相時に首相公邸となり1974年までは、白金プリンス迎賓館として機能し迎賓館が赤坂離宮に機能移管後に民間催事場となり1981年に東京都の所有後1983年に美術館として開館しました。
2015年に国の重要文化財に指定され東京都庭園美術館として現在に至っております。
建物の設計は宮内省内匠寮の建設技師の権藤要吉が担い、各室の内装はアンリ・ラパンが担当しルネ・ラリックなど当時最高のガラス細工や壁紙などが内装材として彩られておりました。
庭園美術館には何度も美術作品展には行っておりますが、今回のような建物内の展覧会は初めてのことで、大変興味ある催しでした。
日中は暑かったので日本庭園・西洋庭園の散策は控えましたが、その分レストランで優雅に食事を楽しみました。
それにしても女性陣の多さには圧倒されました。特に中年の女性陣のなんと元気な事!
七月に入って本格的な暑さが日々続いています。
地元浅草も毎日続く灼熱の日にもかかわらず相変わらず海外からの観光客中心に大賑わいな日々が続いております。
26日には、「第48回 隅田川花火大会」が執り行われました。
毎年花火メーカーが競い合う「花火コンクール」も開催されました。
新聞発表では、二会場におよそ93万人が訪れたことも有り、最寄りの浅草駅などは、大混雑で入場制限もありDJポリスの声が響き渡っておりました。
二つの会場では、一時間半で約2万発の花火が打ち上げられ観衆を大いに楽しませました。
何事もなく無事に終了して地元民としては、ホットしております。
今月は、話題になっている映画「国宝」を鑑賞してきました。
私も生まれも育ちも浅草で幼い頃より長唄・日本舞踊には慣れ親しんでおり、我が家も妹が5歳より長唄を習いだし、現在長唄「杵屋流」の師範として多くのお弟子さんを指導し会も主催しております
又一昨年に中高の同級生がまさしく「人間国宝」に認定されたことも有り、映画の「国宝」を鑑賞するのを楽しみにしておりました。
映画の「国宝」は、芸能分野では歴史上また芸術上価値が高いものとされる文楽・組踊・音楽・舞踊・演芸・雅楽・能楽・歌舞伎のジャンルから選ばれた歌舞伎の「重要無形文化財保持者」通称「人間国宝」の物語でした。
歌舞伎の世界は伝統を重んじ、主として世襲制です。
映画は、その世襲制の世界で任侠の世界から歌舞伎の世界に飛び込み実力派女形として芸の道に人生を捧げた50年の物語で、ついには人間国宝になるまでの一代記でした。
原作者「吉田修一」主演「吉沢亮」助演「横浜流星」で一般的に敷居が高いと言われている「伝統芸能」歌舞伎の約3時間の映画でしたが、少しも長さを感じさせずにむしろ次第にのめり込むほどでした。
吉沢亮さん、横浜流星さんは勿論歌舞伎役者ではありませんが、よくぞここまで歌舞伎役者になりきった二人の演技に「あっぱれ!」。
今月は、以前から行きたかった「上村松園と麗しき女性たち」にやっと行けました。
場所は「山種美術館」で松園生誕150年記念展です。
私は絵画で和洋好きな作品がいくつもありますが、日本画では特に美人絵で名高い画家のお二人「西の松園」、「東の清方」の作品に心惹かれております。
寝室に「上村松園の序の舞」と「鏑木清方の築地明石町」のはがき大のポスターを飾って日々癒されています。
暑い日が続きますが体調管理怠りなく楽しく生活しております。
東京は、天候不順の日々が続き気管支が弱いこの時期は、私にとっては少々つらい日々です。
台風が近かずき気圧が下がると明け方せき込むことが多くなります。
気象予報でもまだ梅雨明けは、発表されていません。
今月初旬にようやく念願かなって、夫婦で夢の浮島「利尻島」と花の浮島「礼文島」へトレッキングに行って来ました。
日本最北の国立公園である両島、「利尻島」は初訪問ですが「礼文島」は、学生の時以来52年ぶりの再訪問となりました。
今回は、ネイチャーガイドさんによる両島での固有種を含む高山植物を詳しく解説してもらう「花々を満喫するプチハイクの旅行」です。
正直私は花の名前を覚えるのが疎くて「日光」や「上高地」など良く行くトレッキングコースに咲く花の名前もよく覚えておりません。
それに引き換え妻は、トレイル中ガイドさんの花の説明の都度に写メを撮りメモしておりました。
宿に帰るたびに正確に花の名を記す為に花のガイドブックを出して確認してもおりました。
妻にとって今旅行は、礼文島の固有種の「レブンアツモリソウ」を見るのが最大の目的でした。
「利尻島」には、稚内からフェリーで約1時間40分で着きます。
フェリーの甲板から見えた「利尻山」別名「利尻富士」の雄大な姿は、とても素敵でした。
日本百名山に選ばれ北の秀峰として一番目に数えられているのも納得です。
標高1721mの独立峰でその姿は、多くの人々を魅了しおり私もしっかり記憶に残しました。
ガイドさんによると前日まで天候が悪くフェリーから「利尻山」は全く見えなくて、この日は天候に恵まれた日だけに出会えるまれな光景だそうで「運」も良かったようです。
日々の行いに感謝です?
利尻島をバスにて一回りして途中「姫沼」で逆さ利尻山を見たり赤エゾマツ原生林に囲まれた「オタトマリ沼」周辺の高山植物の説明を受けたりして利尻島での軽いトレッキングは終了いたしました。
翌日は、いよいよ「礼文島」です。利尻島からフェリーで約45分で礼文島に着きます。
礼文島を見て回るトレイルコースは、7つほどあります。
今回は、そのうちの3コースをトレッキング致しました。
初日は、礼文島を代表する花の名所を見て回る「桃岩展望台コース」で距離は、約7kでゆっくりと4時間ほど花ガイドさんの高山植物の説明を受けました。
途中の昼食は、新鮮な海鮮丼で満足の一言でした。
夕食後に礼文温泉で疲れを癒しました。
残り二日で比較的平坦な「礼文林道コース」約8kと礼文島らしい「岬めぐりコース」約12kを楽しみました。
特に岬めぐりコースに在る「スコトン岬」の強風での体感はさすが礼文島最北限の地の岬とあって凄まじい風圧を感じました。
ついでに最北限のトイレで用も済ませました。
このコースの途中に妻の目的「レブンアツモリソウ」の群生地があります。
季節的に5月下旬から6月中旬までだけ群生地は開園します。
夕方時間で門も閉められてしまい監視員も帰宅してします。
時期や時間によりなかなか目的の花「レブンアツモリソウ」を見られずに断念する方も多いようです。
間に合わない場合バスは、スルー。
もともとこの時期に合わせての旅でしたので「目的を達成」できガイドさんに花を挟んで夫婦での記念写真をしっかり撮ってもらいホッと致しました。
花の巡礼地「礼文島」を満喫いたしました。
例年この時期には夫婦で「上高地」に行くことが多いのですが、今年は新たに「礼文島」でまた一つ「想い出に残る島旅」が出来ました。
感謝です!
五月もあっという間に終盤、そろそろ梅雨入りの気配を感じられる頃になりました。
私は、毎朝家から会社までの通勤途中で「観音様」への参拝が日課になっております。
本堂での参拝が中心ですが途中には銭塚地蔵堂・淡島堂・薬師堂・影向堂などのお堂があり、毎日の家族の健康と会社が少しでも社会のお役に立てることをお願いしております。
私は全く知らなかったのですが、毎年五月十日に「浅草寺本堂」において故水島三右衛門信徒総代の「回向法要」が執り行われています。
今回ご縁がありその回向法要に夫婦で立ち会わせていただきました。
毎朝の参拝時には、本堂の奥まで行くことは無いのですが、今回生まれて初めて貫首が法会の導師を務め総勢二十余名の僧侶での法要に立ち会い厳かな雰囲気で大変貴重な経験をさせていただきました。
特に本堂に響き渡る大勢の僧侶が御本尊様にそのご冥福をお祈りするお念仏には圧倒されました。
法要に立ち会ったおかげで本堂内を案内して頂き、裏手に「裏観音像」があることも初めて知りました。
ご縁があった水島様に感謝です。
伺うことによりますと水島家は、世代をまたいて浅草寺の信徒総代に就任され、明治前半から昭和に至るまで、連綿と浅草寺に力添えをされていたことに対する報恩感謝の気持ちが「回向法要」だそうです。
毎朝観音様に参拝する者として浅草寺の年中行事になっている回向法要にお呼びいただいたのも何かのご縁なのでしょうね、感謝!
最近の浅草は、私が知る「古き良き下町」から「外国人観光客向けの街」になってきた思いがして心中複雑です。
浅草がある「台東区」には、海外からの観光客が年間およそ442万人来ており、渋谷・新宿・銀座・に次ぐ人出だそうです。
その浅草の五月は、最大の年中行事「三社祭」が催されます。
令和七年度の「浅草神社例大祭」つまり「三社祭」は、本社神輿が出る18日が主です。
祭の三日間でおよそ180万人の人出だそうです。
今年は海外からの観光客の多さに加え多くの神輿の担ぎ手達を考えた為か、早い時間から大量の機動隊が出動し警察は、厳戒態勢でした。
早朝の宮出しから夜間の宮入まで浅草は大賑わいの「三社祭」でした。
大きな混乱もなく無事終了したことが良かったのですが、地元民としては深夜まで大声で騒いでいた担ぎ手達には少々迷惑でしたが、年一回の浅草の大イベントですから大目に見ました。
お疲れさま!