NO.225 花のある役者に想う事。

ここ数日の寒さは、”今頃御山は雪だろう”の季節の到来を感じます。
暑さ寒さに弱い私は、朝晩コートにマフラーは必需品です。
毎朝観音様をお参りする私ですが、昨日は特段の想いでした。
57歳の若さで亡くなった中村勘三郎さんは、浅草には所縁のある方でした。観音様の境内に「平成中村座」の箱を建て公演したのは記憶に新しいものが有ります。襲名披露では、仲見世でお練りを致しました。正月の新春歌舞伎は、中村屋が常連です。
勘三郎さんが歌舞伎界に新風を吹き込み、若者にカブキをより身近にした功績は大変に大きな物があります。
私には、何か新しい市場を開拓し困難を乗り越える為に、オリジナルにこだわりモノ作り続ける事に通じる様な気がします。
彼は一芸に秀でた歌舞伎大好き人間で努力家だったと思います。
華やかさの裏ではひたすら歌舞伎に打ち込む厳しい顔があり、まさに「栄光の陰に努力あり」の方だったと思います。
たまたま私と中高が同窓で、次男の七之助さんと私の長男が小学校で同じクラスで仲良くさせて頂いたご縁もあり、いつも活躍には注目しておりました。
周りからは伺い知れない「梨園」ですが、公私共に注目される立場でありストレスもきっと相当溜まっていた事でしょう。
芸の積み重ねに近道はなく、天性の才能に加え周囲を明るくするなど人柄も良い“花のある役者”が早々と天に召されたのは、返す返すも残念です。
私も立場は違え、少しでも“人の役に立つモノ作り”をこれからも進めて行きたいと思った次第です。
中村勘三郎さんのご冥福を心からお祈りいたします。