NO.113 横浜 「三渓園」

テレビの番組を見ていて、横浜の「三渓園」を知りました。
三渓園の存在は、以前より知っていましたが、今まで訪問しようとは思っておりませんでした。
三渓園は、生糸貿易で財をなした横浜の実業家「原 三渓」の元の邸宅です。彼は、ここに京都や鎌倉などから歴史的に価値のある建築物を移築し、明治39年「三渓園」として一般に公開しました。
その後、第二次世界大戦で大きな被害を受けましたが、財団に移管されたのを機に復旧工事が行われ、昭和33年にほぼ昔の姿を取り戻しました。
広大な園内は、内苑と外苑に別れ10棟の重要文化財を含む17棟の古建築物が自然の景観の中にたくみに配置されています。
中でも白川郷にあった江戸時代の庄屋の家を移築した、合掌造は内部が公開されており興味深いものでした。
原 三渓は、若き芸術家の支援や関東大震災後の横浜復興などに功績を残し、横山大観など多くの文化人とも交流を持つなど美術、文化に大変貢献しました。
昔の大物実業家と今日の小物事業家の社会文化に対する根本的な考えの違いに驚くばかりでした。
自分だけの富に固執し社会に還元する発想をもてない今日の小物事業家があふれた社会は、なぜか寂しくこの先の日本の行く末に不安を覚えます。
今日の日本の教育制度において、ビル・ゲイツは生まれにくいのかも知れませんね。
あらためて明治の実業家は、スケールがデカカッタと思い知らされた「三渓園」でした。